最新.5-1『脅威』


自由等の居座る第2攻撃壕。
後方からは激しい戦闘の音が聞こえて来ていたが、こちら側は依然静かで、雨音だけが周囲に響いていた。
「――了解。L2交信終わり」
自由が第1攻撃壕との通信を終え、無線機を置く。
「なんだって?」
直後に竹泉が内容を尋ねる。
「向こうは想定よりもえらく損耗したらしい。負傷者が発生し、L1は現在立て直し中だそうだ」
自由が第1攻撃壕の状況を説明するが、その中に戦死者が発生した事は含まれていない。
長沼二曹が意図的に伏せていた。
「だから残りの敵が突っ込んで来た場合は、俺らがここで叩く事んなる」
「あーあ、やだやだ」
愚痴を吐く竹泉を無視して、自由は無線を先にいる河義へ繋ぐ。
「河義三曹、こちらL2。敵に動きはありますか?」
『敵部隊内部で頻繁な動きは見られるが、今のところ前進する兆候は見られない。
 おそらく仲間内で意見が割れている物と思われる』
「ああ、疑心暗鬼になってんだろ。情報は全部ここでシャットダウンしてるからな」
無線からの河義の声に対して、竹泉が脇から皮肉気な口調で返す。
彼が着く12.7o重機関銃の銃身からは、雨粒が落ちるたびに煙が上がっている。
その銃口の延長線上、対岸の崖の麓には、いくつもの傭兵達の死体が横たわっていた。
伝令らしき者から負傷兵まで、先の戦闘区域から後退してきた傭兵達は、すべてこの場で仕留められていた。
「……」
竹泉の隣で観測手を務めていた鳳藤は、暗視眼鏡越しに苦々しい顔でそれを眺めていた。
「L2よりスナップ21、まだ後退してくる敵影は見えるか?」
自由は今度は対岸の第21観測壕へ無線を開く。
『こちらスナップ21。他に撤退してくる敵影は確認できない。これで全部の用だ……』
返答の声は、施設科の誉士長のものだ。
「分かった、L1の状況報告はそちらでも聞いてたな?」
『ああ、できればもう少し穏やかな報告を聞きたかったが』
「ままならねえもんだ。そっちは監視は続行してくれ、ただし谷の入り口方向への警戒も怠るな」
『分かってる、スナップ21交信終了』
第21観測壕との通信が終わると、それを見計らったかのように、再び河義三曹から通信が入った。
『L2、河義だ。ドローン2が動いた、残りの連中が動き出したぞ!』
「あぁ糞!」
ついに残っていた敵が動き出したらしい。それを聞いた竹泉が悪態を吐く。
「こちらL2、敵の動きは?」
『谷間に主力が展開。両脇の尾根にも別動隊を一個小隊規模で向かわせてる。
 別動隊は上に登ってくる気だろう。これを以降レッチ2、レッチ3と呼称』
「さすがにここで張ってるのが感づかれたか?」
『分からん。とにかく俺達もそっちへ戻る、準備をしてくれ!』
「了解、一度切ります」
河義からの通信を切ると、自由は再び対岸の第21観測壕へと無線を繋ぐ。
「スナップ21、聞こえるか?さっきの今で悪いが敵が動き出した。連中は部隊を谷間と両尾根に分散させた、そっちにも一個小隊程度が向かうぞ」
『ようやっと動いたか……分かった、すぐに迎撃態勢に移行する』
「頼むぞ――よしお前ら、聞いた通りだ。もっぺん装備を確認しとけ。俺は後方にも連絡を入れる」
「何べんもしたっつーの、後は多気投達の持ってくる追加装備待ちだ。……っつーか、その肝心の多気投共は何してんだよ!?いつんなったら帰ってくんだ!?」
多気投等は戦闘開始の直後に、後方からこちらへ発ったはずだったが、未だに壕へ到着していなかった。
「そろそろ戻ってきても……」
『――フィーバーした挙句、なんとかマフィアのおいちゃん達を撒いたわけだぁ!』
会話を聞きつけたかのように、インカムに多気投の声が飛び込んで来た。
『まぁ残念な事に、面倒ごとに追われ続けて、俺とダチの満州めぐりはご破算になっちまった訳だけどよ』
『はぁ……』
しかし聞こえてくる内容は雑談だった。どうやら向こうのインカムのスイッチが、入ったままになっているらしい。
そのまま電波の有効範囲まで近づいて来たのを、こちらのインカムが拾ったようだ。
『おまえよぉ、どうでもいいけど東ア体(東アジア自治区共同体)のこと満州って呼ぶのやめとけよ』
『ワッツ?なんでだ?』
『なんでって……向こうの人間が心象悪くすんの知らないわけじゃねぇだろ!?』
『ワッツ!?マジかよ』
『え、本当に知らなかったんですか!?それで数週間も向こうに……ほんげぇー、それじゃ面倒事に巻き込まれるのも無理ないですよ……』
「何、雑談してるんだあいつらは……!」
流れてくるどうでもいい雑談に、鳳藤は声を荒げる。
「投(なげ¢ス気投の事)、雑談がダダ漏れだぞ。こっちゃまだ隠蔽中だ、もちっと声をセーブしろ」
『オウチッ!』
自由が指摘し、インカムからのおしゃべりは鳴りを潜める。
それから程なくして、多気投等が第2攻撃壕に到着した。
「よぉ、お待ちぃ」
「はひぃ……お待たせしました」
身に着けた追加の装備、弾薬をガチャガチャと鳴らしながら、塹壕内へと飛び込んで来る多気投等。
「おっせぇんだよ、おまけに道中雑談なんかしやがって!お気楽でいいもんだなぁ」
イライラした態度を隠そうともせず、多気投から弾薬箱を一つひったくる竹泉。
「オゥ、竹泉のピリピリ加減が増してら。ドンパチが近ぇのかい?」
「当たりだ。たった今、残りの敵がこっちに向けて動き出した。投、お前は竹泉に代わって50口径につけ」
「ヘイヨォ、竹泉。代わっておくんなまし」
「ぶぇ」
多気投はその巨体を、やや強引に重機関銃の前へと鎮座させる。
そして竹泉は押しつぶされるような形で、その場を退くはめになった。
「糞狭ぇ……おい、コイツを塹壕要員にしたのはあきらかな人選ミスだぞ!」
竹泉は多気投の巨体を指さしながら喚く。
「我慢しろ。剱と唐児は92重につけ。出倉、お前は予備装備を抱えて邪魔にならねぇ所にいろ」
「うす」
「そんな人を荷物みたいに……」
劔と唐児は壕の右側に据付られた92式7.7mm重機関銃の再点検を始め、出倉は予備装備の袋を抱えて壕の隅へと収まった。
「スナップ21、L2だ。そっちは問題ないか?」
『とと……あー、こっちもほぼ準備は完了してます』
無線からは先ほどまで受け答えをしていた誉士長に代わって、高めの少年の声で返答が返って来た。
「その声、鈴暮か?」
無線の声を聞きつけた唐児が、脇から声を挟んで来た。
『あ、唐児先輩?今そっちにいるんですか?』
「ああ、今さっき戻って来た所で――」
「おい唐児」
雑談を始めかけた唐児を、咎めようとする自由。
「すんません士長、少しだけ許可を下さい」
「はぁ。しゃぁねぇ、手短にな」
しかし頼み込む唐児の表情に、自由は許可を出してマイクを渡した。
「鈴暮、お前や誉は大丈夫か?」
『ええ、今のところ……あ。誉先輩、手が空いたみたいなんで代わりますね』
少しの間が空いた後に、無線からの声の主が変わる。
『唐児か、こっちは今の所変わりない。これからドンパチをおっ始めようって時に、変わりも糞も無い気はするが』
「まぁな」
『お前の方こそ、その……大丈夫なのか?』
「大丈夫かと聞かれりゃ微妙なところだが……こんな状況だ、泣き言は言えねぇよ」
『そうか……無理はするなよ』
「わかってる、なんとか気張るさ。ありがとな――士長、ありがとうございました」
他愛のない会話を終え、唐児は自由にマイクを返した。
「知合いですか?」
重機の位置へと着き直した唐児に、出倉が尋ねる。
「ああ、施設大隊の連中なんだが、高校時代の部活仲間なんだ」
「ありゃ」
「そろって軍に入ったかと思えば、これまた仲良く得体の知れない世界に飛ばさててよ。なんの因果だろうな」
説明しながら、唐児は困り笑いを浮かべて見せた。
「――了解、そっちも大丈夫そうだな。敵はものの数分で来るはずだ、頼むぞ」
『了解、L2。スナップ21交信終了』
「よぉし、聞け」
無線機のマイクを置くと、自由は他の面子を注目させる。
「向こうには今し方確認したが、お前らの頭にも入ってるかもっぺん確認する。敵はツララの雨を空から盛大にばら撒いて来る。
 お偉いさんをパクった時に見たのを覚えてるか?あれのアップグレードヴァージョンだ、降ってくる数はあれの比じゃねぇらしい」
「おおぅ、おっかね」
「これが来たら、絶対塹壕から乗り出したりするな。それと、銃弾の威力減少させるとかいう、ふざけた防御壁を張ってくるらしいが、
 これは砲弾やグレネードを放り込むことで対応できるそうだ。加えて、今まで通りの火炎弾やら矢やら降ってくるだろう」
「それ以外には何か警戒することは?」
剱が尋ねる。
「他は未知数だ」
「だろうよ。あー、立場と状況が許せば、ストライキでも起こしてぇ気分だ」
「残念だったな」
竹泉の愚痴を自由が適当にあしらった所で、インカムに音声が飛び込む。
『L2、河義だ。壕へ接近中だ、撃つな』
「了解」
暗視眼鏡で壕の外を覗くと、二名分のシルエットが映る。
数秒後には、シルエットの正体である河義と高保越が、壕へ飛び込んで来た。
「ッ、ハァ――連中、相当迷ってたみたいだが、味方の応援を決断したらしい、すぐ来るぞ。鏘壽士長、こっちの態勢は?」
「だいたいは、整ってます」
「敵は両脇にも一個小隊づつ戦力を割いたが、こっち側に登ってきた連中のほうが若干多かったように見えた」
河義の言葉を聞いた竹泉は、あからさまに嫌そうな表情を作った。
「げぇ、こっちが外れかよ」
「それでいい、重火器はこっちに集中してある」
反して、本人には自覚の無い、薄気味悪い笑顔で言う自由。そこへ本日何度目かも分からぬ、無線の割り込みが入った。
『ジャンカーL2、L1長沼だ』
「L2、河義三曹です」
長沼からの無線通信を河義が受ける。
『敵残存が動き出したとの報告を受けているが、現在の状況は?』
「敵主力、ドローン2は間もなく、こちらからの目視可能域に、あと数分後にはB2攻撃線に到達します」
『分かった。いいか、敵は想定よりも士気が高く、堅牢だ。モーターには先ほど以上の念入りな砲撃を指示してある、そちらも重火器や対戦車兵器は惜しむな』
「――了解」
激しい戦いになるかもしれない。河義はそう思い、息を飲んだ。
「おぃ、敵だぁ」
竹泉が報告の声を上げる。敵傭兵隊が、肉眼でも確認できる距離まで接近して来ていた。
「スナップ21。敵主力ドローン2、目視域に到達」
『了解』
足並みをそろえるため、対岸の第21観測壕と頻繁に交信を行う。
「竹泉二士、照明弾は」
「とぉーに装填してあります」
相手が上官であるにも関わらず、イラついた口調を隠すそぶりも見せない竹泉。
彼は照明弾の装填された66oてき弾銃を構え、崖下の敵部隊を目で追いかけている。
「崖の上に敵影を目視、一個小隊規模」
崖の上を見張っていった剱が、張り詰めた声で報告を上げた。登ってきた敵の別動隊もまた、塹壕へ接近しつつあった。
「歩行速度が速い、あと少しでこちらと接触します!」
「焦るな、もう少しだ。主力が位置に来るまで待つんだ」
剱を落ち着かせながらも、河義は眼下の敵主力を睨み続ける。
「敵部隊――B2攻撃線に侵入」
報告の声。
谷間の敵部隊主力が、迫撃砲の有効範囲に入った。
「ジャンカーL2よりモーター。砲撃を要請する、砲撃開始!」
河義は手にしていた無線のマイクで、迫撃砲部隊へ砲撃の合図を送る。
「竹泉、やれ」
「へぇよぉ」
そして竹泉が、66oてき弾銃の砲口を上空へ向け、引き金を引いた。
砲身から撃ち出された照明弾が上空で炸裂し、夜闇を冒涜するがまでに煌々と輝きだす。
そしてほぼ同時に、周囲に響きだす風を切るような音。
直後、無数の爆炎と炸裂音が谷間で上がり、二度目の戦端が開かれた。


「了解――麻掬三曹、聞いての通りです。敵が来ます」
通信を終えた誉が、麻掬へ振り向きそう伝える。
対岸の第2攻撃壕から、敵が前進を始めたとの報告が入ったのだ。
「分かった。今度は俺らが迎え撃たなきゃならん……各員、再度各装備をチェックしろ」
麻掬が指示を出し、各々は装備の最終確認を開始する。
「誉先輩」
「ん?」
作業の片手間、鈴暮は誉に話しかけた。
「唐児先輩、まだちょっと沈んでましたね……」
鈴暮は、少年っぽさの残る可愛らしい顔を少し曇らせ、心配そうに言う。
「ああ、しょうがねぇ。あいつはここ数日、胸糞悪い事を目の当たりにしてばっかりだからな。そして、これからまたしても戦闘だってんだ……」
連日の戦闘と事件で、心身ともに目に見えて疲弊してゆく唐児の事を、彼の友人である誉と鈴暮は酷く心配していた。
「大丈夫かな……」
「余裕ね、人の心配してるなんて」
そんな二人の会話に、不機嫌そうな声が割って入る。
「向こうのおかしい連中より、私等がどうなるかも分かんないのよ?」
声の主は渋い顔つきで、重機関銃の点検をしている祝詞だった。
「人にあたるなよ祝詞、気持ちはわかるが」
「ッ……悪かったわよ!」
ぶっきらぼうに言い放つ祝詞。彼女は確認を終えた重機関銃のフィードカバーを閉めて、ため息を吐く。
「寒い……早く帰りたい」
そして祝詞はそんな台詞を零した。
「帰った所でやるべき事は山盛りだがな。武器の整備に燃料、弾薬の再補給。今後の計画のブリーフィング。
 今も車両の整備や、ヘリやら無人機やら用意に大忙しで、そっちの手伝いにも駆り出されるかも――」
「違う!……私が言いたいのは、元の世界に返りたいって事よ……!」
誉の言葉を遮り、悲観に染まった声色で祝詞は叫んだ。
得体の知れない異世界で、連日続く作戦行動による心身の疲弊。
加えて、不快な塹壕の中で、擬装から吹き込む雨風に削られる体温、体力、気力。
何よりこれから殺し合いをしなければならないという不安。
祝詞の口からそんな言葉が放たれるのも、無理は無かった。
「………」
祝詞の言葉に、塹壕は静寂に包まれる。
「……よせや、こんなタイミングで」
少しの静寂の後、祝詞の隣にいた美斗知が、苦虫を噛み潰したかのような顔で発した。
(ギスギスしてるなぁ……)
『スナップ21』
そんな事を思っていた鈴暮の意識を、無線からの音声が引き戻した。
『敵主力ドローン2、目視域に到達』
「了解――麻掬三曹、敵が目視域に到達とのこと」
「見えてる」
麻掬三曹は暗視眼鏡を手に、谷間の先を睨んでいる。彼の目には、谷を進む敵傭兵部隊が映っていた。
「報告道理、敵は主力を谷間に展開し進行中」
麻掬三曹は暗視眼鏡を放すと、塹壕側の隊員等に向き直って説明を始める。
「確認するぞ。谷間に展開した敵主力は、第2攻撃壕のL2と迫撃砲が相手をする。俺等がまず相手をするのは、こちら側の丘に上がってきた敵、一個小隊だ。
 これの排除が完了次第、第2攻撃壕の援護に移る」
「了解」
「言うだけなら簡単ですけどね……」
「配置に着け」
各員は自分の装備を手に定位置へ着き、美斗知と祝詞は、担当する12.7o重機関銃へと着いた。
「敵主力、まもなくB2攻撃線に侵入」
麻掬三曹に代わり、暗視眼鏡を覗く誉が敵の様子を伝える。
「敵主力、B2攻撃線を越えました」
「来るぞ」
麻掬三曹が呟く。
その数秒後、上空に照明弾の閃光が上がる。そして谷間で無数の爆炎の上がり出した。
「始まった」
「………」
殺し合いが始まった。
にもかかわらず、第21観測壕は未だに静かで、現実感は希薄だった。
上空の瞬きに照らされながら、眼下で巻き起こっているであろう阿鼻叫喚。
しかし、壕の面々が抱いていたのは、まるでつまらない映画でも見ているような感覚だった。
「――麻掬三曹。こちらへ接近する敵影あり!」
そんな彼らを現実に引き戻す声。この場にいる唯一の普通科隊員、中崖胃三曹の声だ。
「どこです」
「こちら側の崖の下、一個小隊規模。騎兵が縦列で接近中」
見れば、傭兵とおぼしき騎兵達が、崖の下を断崖に沿うようにしながら走ってくるのが見えた。
「報告された別動隊か?崖の上に上がらなかったのか?」
「ッ、あれじゃ50口径では狙えません!」
祝詞が困惑の声を上げる。
三脚に固定された重機関銃では、断崖に沿いながら走ってくる騎兵を狙う事はできなかった。
「いい、個人火器で対応する。誉士長、MINIMIを」
「了解」
中崖胃三曹は自分の小銃を、誉はMINIMIを持って塹壕から這いずり出た。
「怪しい気配があったらすぐに戻れよ!――あいつら、こんなルートを通って何がしたいんだ……?」
麻掬三曹は暗視眼鏡で敵を観察し続けながら、疑問の声を漏らす。
「俺等が陣取ってるのを警戒して、死角を選んだのでは?」
鈴暮が発するが、麻掬三曹はそれを否定する。
「意義が薄い。確かに開けた崖の上を突っ込んで来るよりかは、狙われにくいかもしれないが、あえて俺等に頭上を取られてまで選択する程のメリットじゃない。ましてこの地形だ」
第21観測壕が構築された周辺は、一帯でも特に断崖の岩肌が荒い場所だった。
人の手でこの断崖を登るには相当の労力が求められる。
まして、今は夜間でおまけに雨天であり、崖下から上に攻めるには最悪の環境だった。
「こっちを警戒していない訳はないはずだ……」
無線での報告では、敵は崖の上にも注意を向けているらしく、現に先ほども対岸に偵察を上げている。
こちらが崖の上に陣取っている可能性を、考慮していないという事も考えにくかった。
「さっきの第一波を助け出すために、俺等を無視して下を突っ切って行くつもりでは?」
「……それくらいか」
『なんでもいい、レッチ3はここで排除する』
疑念を払拭しきれない麻掬三曹を、インカムからの中崖胃三曹の声が一蹴する。
中崖胃三曹と誉は、塹壕から少し先の、崖下を狙える位置に陣取っていた。
誉は腹ばいでMINIMIを構え、その横に中崖胃三曹が立膝を着いた。
「お前は正面に向けてばら撒け、撃ち漏らしは俺がやる」
「了」
「――撃て」
先頭の騎兵が射程距離に入ったのを見て、中崖胃三曹が指示を出す。そして誉のMINIMI軽機関銃が発砲音を響かせた。
吐き出された弾の群れは、先頭を駆ける騎兵達へと襲い掛かる――はずだった。
「――あ?」
しかし誉のその目は、照準の先にありえない物を見た。
先頭を切っていた騎兵の乗り手が消えた。
いや違う、消えたと思われた乗り手は、断崖の岩肌へと飛び移っていた。
そして、それだけではなかった。
信じられない事にその乗り手は、突き出した岩を次々に足場とし、人間ではありえない跳躍力で、岩肌を舞うように登って来ていたのだ。
「ばかたれがぁ――冗談だろ!?」
横で、同じ物を見たであろう中崖胃三曹が悪態を吐き出した。だが吐き出された悪態をよそに、その冗談は続く。
先頭の騎兵のその動きを合図とするかのように、後続の乗り手達も馬上に立ち、そこから岩肌へと飛び移ってゆく。
そして岩肌の突起を足場に、次々と断崖を登り出した。
「誉士長!」
中崖胃が誉の名を叫ぶ。
誉は返事の代わりに、照準を断崖の岩肌へと向け、再びMINIMIの引き金を引いた。
かろやかに崖を登ってくる傭兵達に向けて、無数の5.56o弾がばら撒かれ出す。
しかし暴力の雨に臆することなく、傭兵達は縦横に跳躍を続ける。
「有効打、確認できず!」
「落ち着け、目移りを起こすな。目標を先頭の奴に絞れ!」
予想外の挙動を取る敵に、必死に食らいつこうとする中崖胃と誉。
だがそれを掻い潜り、先陣を切って飛び立った先頭の傭兵が、崖の上へと到達し足をつけた。
『中崖胃三曹、壕に戻ってください。これ以上の突出は危険です!』
中崖胃のインカムに、麻掬三曹の後退指示が飛び込む。
「分かった。誉士長、戻るぞ!」
「ッ、了解!」
最初の傭兵に続くように、崖の上には傭兵達が次々と到達してゆく。
その傭兵達に向けて牽制に弾をばら撒きながら、二人は塹壕へと後退した。
「美斗知、祝詞!」
「了解」
「冗談でしょ……!」
塹壕では重機関銃を担当する美斗知と祝詞が、三脚を掴んで持ち上げ、重機関銃の再設置にかかっていた。
「なんなんだあれは!?」
壕へと戻って来た中崖胃三曹が、開口一番に困惑と苛立ちの混じった声を上げた。
「いわゆるファンタジー世界の不思議な力って奴でしょう、こんな形で出くわしたくなかったが……」
言葉を返した麻掬三曹。その手には信号けん銃が握られている。
「各員射撃用意しろ、弾幕を展開して敵を迎撃する。美斗知士長、50口径は?」
「再設置完了!」
「よし、備えろ。照明弾を上げるぞ」
麻掬三曹は信号けん銃を頭上に掲げ、引き金を引いた。
撃ち出された照明弾は、降り立った敵の頭上へ向けて飛び、炸裂。瞬いた照明弾は、こちらへ向けて駆け出す傭兵達を照らし出した。
「射撃開始ッ!」
麻掬三曹は即座に指示を出す。
重機関銃が、そして各員の火器が一斉に火を噴く。
注がれる銃弾の雨に晒され、傭兵達の内の何人かが倒れるのが見えた。
「何体か飛び上がるぞ!」
襲い来る銃弾から逃れるためか、傭兵達は上空へと跳躍を始める。
しかし飛び上がった傭兵達もまた、小銃や軽機関銃の攻撃に晒される事となる。
丘の上のなだらかな地面での跳躍は、岩肌で行われたそれよりも単調な物となり、傭兵達の内数名が、予測射撃の餌食となった。
「有効打確認。敵の進行が止まります」
展開される弾幕によって、傭兵達の動きが鈍くなる。
一度上空へ飛び上がった傭兵達も、地面に着地して身を伏せてゆくのが見えた。
「射撃を継続、このまま釘付けに――待て」
他の傭兵達が動きを止める中、一人だけ動き続ける影があった。その影は他の傭兵達をかき分けるように、突き進んでくる。
「マジか?一体突っ込んでくる」
「50口径、対応しろ」
「了」
美斗知は重機関銃を旋回させ、一人突っ込んでくる人影を照準に収める。
そして押し鉄に力を込め、発砲した。
「――?」
弾は突き進んでくる人影に吸い込まれたはずだった。
しかし、人影は一瞬何か動きを見せたかと思うと、何事も無かったかのように、こちらへの突貫を続けている。
「……当たったはずだぞ?再攻撃する」
疑念を感じながらも、美斗知は再度照準を覗き発砲。
「――!」
そして次の瞬間、美斗知はある事を確信した。
「麻掬三曹!」
照準の先に見たものを報告するべく、麻掬の名を叫ぶ。
隣で双眼鏡を覗く麻掬三曹の横顔は、酷く険しいものとなっていた。
「分かってる美斗知士長、お前の言いたい事は分かる……あいつ、剣で銃弾を弾いてる!」
彼らが目にしたもの、それは大剣を振るい、12.7o弾を跳ね除ける人間姿だった。
「はぁ!?何を……んなバカな事が!」
誉が声を上げるが、現実にその事態は起こっていた。
「信じられないが事実だ!あれは洒落じゃすまない、美斗知士長、撃ち続けろ!」
「了解!」
「全員、あの個体に集中砲火だ!」
全ての火器が、迫り来る傭兵に狙いを向けて火を噴きだす。
しかし、撃ち出される弾はその敵傭兵の手によってことごとく退けられてゆく。
接近するにつれ、敵傭兵の動きが鮮明になる。
傭兵は時に体をしならせて弾を避け、時にその大剣で弾を弾き、反らし、果ては真っ二つに切り裂いていた。
「は、冗談だろ」
驚きを通り越し、呆れたような声を上げる美斗知。
傭兵は、注がれるすべての弾を曲芸のように退けながら、飛ぶように走り、こちらへと迫って来た。
そして、
「ッ!」
目の前から消えた――否、対象はまたしても飛んだ。
一瞬、踏み切る動作を見せたその人影は、直後には上空約30メートルの高さへと飛び上がっていた。
「呆けるな!撃て!」
中崖胃の怒号。
各員は上空の敵を追い、小銃や軽機関銃を上空に向ける。
「ダメです、仰角が――!」
だが要の重機関銃に限っては、それが叶わなかった。
対空マウントではない重機関銃は仰角を取れずに、射手である美斗知の視線だけが、上空の敵を追う。
「!」
そして気づく。
ゆっくりと重力に引かれて降下を始める、その存在の取る軌道。
傭兵が手に持つ巨大な得物が、牙を剥かんとする先。
「麻掬三――」
口から声が漏れかけた瞬間、彼の体に鈍い衝撃と鈍痛が走った。
彼の視界が揺れる。
そして何が起こったのかを把握する前に、さらなる衝撃が巻き起こり、視界の端で土砂が巻き上がった。
「げッ――痛!」
塹壕の底に体を打ち付け、自身が突き飛ばされた事を美斗知は理解する。
体が訴える痛みを押さえつけ、目の前の事態を確認するべく身を起こす。
「糞!なんだって――」
「美斗知!麻掬三曹!大丈――え?」
起き上がった美斗知、そして駆け付けた祝詞は、目に飛び込んで来たものに言葉を失う。
緩やかに弧を描いて構築してあったはずの塹壕は、切り裂かれたかのように十字になっている。
設置してあった重機関銃は中心部で切断され、銃身を始めとする各部はひしゃげていた。
そして――
「あ……あ……」
右腕、そして右の胸部から左わき腹までを切り裂かれ、上下で真っ二つになった麻掬三曹の体が、そこに横たわっていた。
「あ………い、嫌ぁぁぁぁぁッ!!」

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